日本総研より

2020年5月22日
  • ◆  2020年に入って新型コロナウィルス感染症(以下、新型コロナ)が流行したこと により、旅行・観光業は大きな打撃を受けた。政府はこの状況に対応するため、 本年度の第一次補正予算に大規模な需要喚起をはじめとする観光振興策を盛り 込んだ。しかしながら、その内容は従来の延長線上にあり、新型コロナがもたら した環境変化に対応しておらず、期待通りの効果が上がるか不明である。

  • ◆  新型コロナからの回復をはかっていくうえでのわが国観光産業の課題としては、 まず、長期にわたり低下が予想される観光客の消費意欲をいかに喚起していくか が最重要といえよう。次いで、人と人との接触による感染リスクを懸念する受け 入れ側の地域社会・住民の不安心理払しょくや、観光客の集中を生じさせること のない受け入れ規模、顧客構成の多様化などをいかに実現するか、といったこと が挙げられる。
  • ◆  このような課題を踏まえて補正予算の中身と問題点を指摘すると、以下の通りで ある。まず、従来の「ふっこう割」に倣った Go to キャンペーンは、感染の収束 後、ただちに宿泊料その他を軽減して旅行や飲食、買い物といった需要の創出を 目指すものである。しかし、今回の新型コロナの場合、人と人との接触による感 染の危険性を完全に払しょくすることは難しいため、お得さを売りにしたキャン ペーンでは、消費者の意欲が期待通りに高まらない恐れがある。
  • ◆  加えて、観光用のコンテンツ開発や滞在環境の整備、プロモーション活動等、観 光地向けの支援に限っては、多言語表記の推進など、これまでのインバウンド重 視の方針が堅持されている。しかし、過去に観光が自然災害等により打撃を受け たケースをみると、回復過程を主導したのは日本人による国内旅行者であり、需 要喚起を図るターゲットとしての優先順位に疑問が残る。
  • ◆  今後は、新型コロナによって変化した事業環境を踏まえ、観光振興策を刷新する ことが望まれる。具体的には以下の三点が考えられる。

1 日本総研Research Focus

  • ◆  第1に、インバウンド中心の振興策を見直し、ファーストターゲットとして、日 本人旅行者の需要を喚起することが望ましい。具体的には、安全・安心への要求 水準が高い日本人消費者に対応し、感染の危険性を極力抑えうる滞在環境の整備 やコンテンツの開発が考えられる。
  • ◆  第2に、これまでのように、特定の国の旅行者や健常者をターゲットとした営業 態勢を見直し、顧客構成の多様化と新規開拓を図ることが望まれる。多様な国か らの来訪者を受け入れたり、高齢者・身体障碍者が容易に旅行できるユニバーサ ル・ツーリズムへの取り組みが求められる。
  • ◆  第3に観光客を受け入れる地域社会・住民の態勢を整える必要がある。従来、観 光は地域創生の切り札に位置づけられ、重視されてきたが、新型コロナの感染拡 大以降、観光に消極姿勢を示す地域や住民が増えることが懸念される。感染の危 険性を低下させる取り組みを継続するとともに、情報開示と丁寧な説明を行って 地域住民の不安感を払拭することが求められよう。

本件に関するご照会は、調査部・主任研究員・高坂晶子宛にお願いいたします。 Tel:03-6833-1584
Mail:kohsaka.akoko@jri.co.jp

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本資料は、情報提供を目的に作成されたものであり、何らかの取引を誘引することを目的としたものではありません。本資料は、 作成日時点で弊社が一般に信頼出来ると思われる資料に基づいて作成されたものですが、情報の正確性・完全性を保証するも のではありません。また、情報の内容は、経済情勢等の変化により変更されることがありますので、ご了承ください。

2 日本総研 Research Focus

1.はじめに

2020 年4月末、25 兆 6,914 億円にのぼる令和2年度第1次補正予算が成立した。これは4月7 日に閣議決定された緊急経済対策を具体化したもので、新型コロナウィルス感染症(以下、新型コ ロナと表記)に対応した医療体制の整備、影響の深刻な中小零細企業の事業継続と雇用の維持、収 束後の経済のV字回復のための取り組みが柱となっている。

このうち観光分野については、「国内に向けた観光需要喚起策」として予算の約7%に当たる1 兆 6,794 億円が投じられるのに加え、「観光基盤の整備」(158 億円)や「海外向けプロモーショ ン」(96 億円)についても別途、予算が投入されることとなっており、収束後を見据えた振興策へ の手厚い対応が目立つ。

新型コロナにより打撃を受けている産業分野は多いが、早々に営業自粛要請の対象となった飲食 業やイベント・エンターテイメント業、観光・宿泊業の受けたダメージはとりわけ大きい。実際、 3月以降に全国で倒産した企業のうち、最も多数を占めているのは観光・宿泊関連である。近年、 観光は成熟した日本経済にあって数少ない有望成長市場としてとくに重要視され、地方創生の切り 札としても期待されていたことから、今回の大規模な予算措置に至ったといえる。しかし、新型コ ロナの収束が見通せず観光ビジネスの存続自体が極めて厳しくなるなか、救済策を差し置いて振興 策が打ち出されたことに違和感を示す声は少なくない。

新型コロナの収束を見据えて早期に振興策を公表すること自体は、関係者が将来に展望を見出 し、情報収集や新規企画その他の準備に取り掛かる契機となるため、無意味であるとはいえない。 しかし、打ち出された内容をみると、従来の延長線上の取り組みが大半を占めており、今回の新型 コロナの流行で大きく変化した経済・社会環境に見合っていない部分が目に付く。以下では、第 1 次補正予算で打ち出された政府の観光振興策を検討し、従来型の取り組みでは大きな効果が期待で きず、変化する社会経済環境を見据えた対応が求められることを指摘する。

2. ポスト・コロナにおけるわが国観光の課題

新型コロナから回復をはかっていくうえでのわが国観光の課題は、主に以下の3点に整理するこ とができる。

(1)長期にわたる観光需要の減少 まず、観光する側の問題として、新型コロナの収束後も需要がなかなか回復しない恐れがある。

第1の理由は新型コロナが経済全般に大きな打撃を与え、景気後退を余儀なくされることから、多 くの消費者が観光する経済的余裕を失うことである。第2の理由は、新型感染症の流行は人と人と の接触が主な原因であるため、公共交通機関の利用や人気スポットへの訪問に対する抵抗感が容易 には払拭されず、社会全体として観光を控える傾向が続くことである。

以上のように、観光ビジネスの復調は製造業等が成長軌道に復した後となる可能性があり、観光 業は厳しい状態が相当期間続くことに備える必要がある。こうしたなか、政府がとるべき対策とし ては、当面は健全な観光事業者の経営破綻を回避するため、事業継続に向けた低利無担保融資や納 税の支払い猶予、空港使用料等の減額、赤字に陥った鉄道路線や航路を維持するための資金支援、 従業員の雇用維持のための雇用調整助成金支給等を迅速かつ潤沢に行っていくことが考えられる。 この間、観光業界は、新型コロナが収束したポスト・コロナ段階で需要が速やかに回復していくよ

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う、新たな観光需要の創設に長期戦で取り組む必要がある。

(2)受け入れ態勢の問題 観光客を受け入れる地域社会・住民の側にも今後問題が生じる恐れがある。今回、新型コロナが

大都市圏で流行し始めると間もなく、地方圏では大都市圏住民が観光や帰省目的で地元に来ること への忌避感がみられるようになった。この傾向は新型コロナが収束した後も、観光ビジネスとのか かわりが希薄な住民を中心に一定期間続く可能性がある。

インバウンドをめぐる問題はより複雑である。緊急事態宣言に先立って広範な渡航禁止措置が取 られたため、これまでインバウンドの来訪を直接拒む行動は多くはみられなかった。しかし、今 後、渡航が順次解禁されるのに伴い、新型コロナの発生が最初に観測された中国や感染者数が世界 最大となったアメリカからの来訪を忌避する心理が地域社会で働き、インバウンド全般への否定的 態度となって顕れる可能性がある。

地域住民のインバウンドに対する否定的な心理は一朝一夕に改善できるものではなく、また地域 の受け入れ態勢を一挙に好転させる打開策がある訳でもない。時間をかけて地域社会や住民の理解 を得つつ、観光ビジネスのスムーズな復調を図ることが課題である。

(3)観光客の集中に関わる問題 新型コロナ後の観光戦略として、さらに2つのポイントがある。ひとつは、新型コロナの感染拡

大が一巡しても、ワクチンや治療薬がない以上過度な人の密集や密接等は回避すべきであるにもか かわらず、政府の需要喚起策によって一部地域に多数の観光客が集中する可能性である。紅葉や祭 りなどのイベントを目当てに特定地域に観光客が集中し、万一集団感染(クラスター)が発生すれ ば、当該観光地のみならず、観光ビジネス全般が再び大きな打撃を被ることとなろう。需要の回復 に当たっては、観光客の集中を生じさせることのないよう、受け入れ規模のコントロールが課題と なる。

もうひとつは中長期的な課題となるが、特定の送り出し市場に集中した顧客構成を見直すことで ある。今回の新型コロナのような危機に陥っても、早期に回復できるレジリエント(resilient) な観光地を目指すことが重要であり、国内外の多様な市場から観光客を誘致してバランスの取れた 顧客構成とし、たとえ一つの国からの観光客が見込めない状況にあっても、他の国や国内からの観 光客でカバーできるような誘客戦略が必要となる。

3.平成 2 年度第 1 次補正予算における観光施策の概要と問題点

ここまで示したようなポスト・コロナにおけるわが国観光産業の課題を念頭に置きつつ、今回の 補正予算の概要と問題点を整理する。

(1)「国内に向けた観光需要喚起策」事業 A.概要

本予算は経済産業省に計上されるが、執行は国土交通省観光庁が主に行うものである(他に農林 水産省も関与)。施策は、旅行、飲食、イベント、商店街振興、およびそれらの一体的プロモーシ ョンの 5 つのパートからなり、新型コロナが収束した後、一定期間を限って実行に移される予定で

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ある。
中心的な施策である Go to travel キャンペーンは、旅行商品を購入した消費者を対象に、一泊

当たり上限 2 万円を限度として割引クーポンを支給するもので、「国内に向けた観光需要喚起策」 の予算総額の 8 割に当たる 1 兆 3,500 億円が充当されている。本キャンペーンのポイントは単に宿 泊料を割引くのではなく、地域産品の購入や飲食、施設利用等の支払いに使えるクーポンを併せて 配布し、旅行者の消費が地域の幅広い経済主体にいきわたることを目指す点にある。なお、観光目 的であれば、旅行者がキャンペーン商品を利用する回数や宿泊回数、合計支払額等には制限を設け ない方針である。

その他の施策をみると、Go to Eat キャンペーンは、オンライン予約サイト経由で予約した来店 者にポイント(1 回当たり 1000 円)を付与したり、2 割相当の優待分が付いたプレミアム食事券を 販売するものである。Go to Event キャンペーンは、チケット販売会社経由でイベントあるいはラ イブ公演などのエンターテイメントのチケットを購入した消費者に対して 2 割相当の割引を行う。 Go to 商店街キャンペーンは、商店街がイベント等を開催する際、コンテンツ開発や広報宣伝活動 に対して人的、財政的支援を行う。最後に、一体的プロモーションは、4 タイプの Go to キャンペ ーンを広く周知するための包括的なプロモーション活動である。各事業は政府が民間事業者に委託 して執行される。具体的には、民間事業者が消費者からの予約受け付けや発券、割引用クーポンの 発送等の事務、商店街への支援の手配・提供を行う。

B.問題点
自然災害等で観光客が激減した際、Go to travel キャンペーンのような需要喚起策を採るのは今

回が初めてではない。東日本大震災の際には、復興支援のため宮城、岩手、福島県等に向かうボラ ンティアに対する宿泊割引が行われた。

今回のように旅行商品の購入者に割引クーポンを支給するようなキャンペーンを行うのは、2016 年熊本地震の後に打ち出された「九州ふっこう割」が最初である。その後、2018 年の北海道地震 (北海道ふっこう割)や西日本豪雨(13 府県ふっこう周遊割)、2019 年の台風 15 号・19 号による 台風・豪雨被害(東日本ふっこう割)に際して宿泊割引が行われてきた。いずれも災害救助法の適 用を受けた地域に宿泊を伴う旅行をした場合、期間を限って政府が助成金を支出するスキームであ り、今回の Go to キャンペーンはその拡充強化という位置づけである。

各ふっこう割は被災地への誘客や消費拡大の面で一定の成果を挙げてきた。しかし今回の新型感 染症の場合、従来と異なる点があるため、果たして期待通りに効果があがるかは未知数といえる。 相違点は主に2点ある。

過去のふっこう割の対象となった自然災害の場合、地震に際しての余震のリスクを除けば、発生 した時点で危険事象の内容や直接影響の及ぶ範囲はおおむね確定しており、再度危険事象に遭遇す る確率はかなり小さい。そもそも被害甚大であったのは一部にとどまり、当該地域さえ避ければ、 安全、快適な旅が保証されている。これに対して新型コロナ場合、回避すべき地理的範囲や感染す る危険性を外形的に判断することは容易でないため、旅行意欲がなかなか盛り上がらないという事 情がある。

第2に、過去の例では地元が強く要望して各ふっこう割が導入されており、観光客を受け入れる 地元の準備は整っていた。しかし、今回は緊急事態宣言の下、観光はもとより地域間の移動自体が 厳しく制約されており、キャンペーンがスタートしたからといって、観光客を歓迎する機運がすぐ

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には高まらないことが危惧される。 もちろんキャンペーンは感染拡大収束後に開始される予定であるが、年単位の時間を要するワク

チンや治療薬の開発までは待てないため、新規感染者の発生が抑えられ、管理可能となった段階で 着手されるものと見込まれる。しかし、そのような状況下では感染の危険性は絶無ではないし、い ったん収束に向かっても流行の第 2 波、第 3 波の発生も懸念されるなか、旅行者も受け入れ側も二 の足を踏むことも予想されるため、需要喚起策の効果は限られたものとなるおそれがある。

(2)「反転攻勢に備えた観光基盤の整備」事業 A.概要

本予算は、全国的に落ち込む観光需要の回復のため観光資源やコンテンツを開発したり、旅行環 境を整備するものである。観光庁資料(「令和 2 年度第一次補正予算の概要」)によると、「誘客多 角化等のための魅力的な滞在コンテンツ造成事業」と「訪日外国人旅行者受入環境整備緊急対策事 業」の 2 事業に大別される。前者のコンテンツ造成事業は、「訪日外国人観光客6千万人時代を見 据え、反転攻勢に転じるため」に、各地域の固有資源やイベントを、高い集客力を見込めるコンテ ンツに磨き上げるものである。後者の環境整備事業では、公共交通機関における多言語表記やキャ ッシュレス決済の導入支援が予定されている。本予算からは、従来政府が注力してきたインバウン ドの誘致方針を堅持していることが見て取れる。

B.問題点
2003 年の観光立国宣言以来、政府はインバウンド誘致を観光振興策の主柱に据えて成果を挙げて

きた。しかし新型コロナが深刻化して以降、国際的な人の往来は極めて低調なのが実情である。国 連世界観光機関(UNWTO)の調査によれば、4 月 6 日時点で世界の 96%の国と地域で何らかの旅行規 制、例えば(部分的)国境閉鎖、特定国に対する旅行制限、航空便の運休、自主隔離、ビザの発給 停止・無効等の措置が取られている。日本においても 3 月の訪日外国人客数は前年同月比 93%マイ ナスとなり、ゴールデン・ウィークの国際航空線の減便率は 90%以上に上る。

過去の自然災害による観光需要急減の例では、復興の糸口を切ったのは日本人旅行者であり、今 回の新型感染症後の観光戦略においても、当面の中心的ターゲットは日本人と考えられる。これに 対し、観光基盤整備事業が依然としてインバウンド誘致中心の振興策を採っている点には強い違和 感がある。政府としては、日本人観光客の需要喚起には(1)の Go to キャンペーンで対応すると いう意図であろうが、前述した通り新型コロナは従来のふっこう割とは性質が異なるため、Go to キャンペーンのみで期待通りに国内需要が喚起されるかは疑問である。

(3)「海外に向けた大規模プロモーション」事業 A.概要

本予算は、新型感染症が収束した国々に対して、訪日観光旅行に対する誘致活動を速やかに再開 するものである。とくに、現在 90%以上が運航を休止している国際線の再開を後押しするため、航 空会社の割引キャンペーン等と軌を一にして、政府観光局が大々的な共同プロモーションを行うと している。例えば、活気を取り戻した日本各地の状況を映像等で強く訴求し、インバウンドブーム の再来を目指している。

B.問題点

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(2)と同じく、「海外に向けた大規模プロモーション」事業においても、従来と同じインバウン ド重視の姿勢を踏襲しており、新型感染症後の観光戦略として課題が残る。

現在、新型コロナが鎮静化に向かいつつある中国や台湾では、移動禁止措置への「疲れ」から動 画やVR(仮想現実)を見て旅行を計画する動きが強まっているという。日本はこれらの地域で 1、2を争う人気デスティネーションであり、国外旅行が解禁されれば(時期は各国政府の判断に よるが)、多数の観光客が再び日本を目指すことは想像に難くない。

このような動きに対し、日本側の受け入れ態勢、特に心情面の準備が整っておらず、軋轢が生じ る懸念がある。なかでも多数の感染者を出した中国やアメリカからの観光客を敬遠する傾向が根強 く残り、結果的に主要市場との関係を損なう可能性は否定できない。これらの国から多数来訪する インバウンドに対して受け入れ側が敬遠する気持ちを抱くばかりか、それを察知したインバウンド 側が心象を害するおそれがある。さらに、この種の事態が局所的に発生するならまだしも、SNS 等 で広く拡散されれば、これまでわが国が築き上げてきた「おもてなし」の名声が一挙に地に落ちる 可能性もある。観光客を受け入れる側の準備に対する配慮を欠いたまま、海外向けプロモーション を華々しく行うことは、将来にわたって禍根を残しかねない。

4.ポスト・コロナを見据えた観光戦略の見直しの必要性

(1)インバウンド重視から日本人観光客重視へ こうした状況下、従来のインバウンドを重視した観光振興策を見直し、日本人の旅行意欲の喚起

に重点を移すことが必要である。ただし、今回の新型感染症の場合、過去のふっこう割で成功した 需要喚起策のみでは十分な効果が上がらない可能性がある。なぜなら、日本人旅行者も、衛生面や 健康面に対する懸念から、旅行に対する意欲は従来に比べて減退している可能性があるためであ る。ポスト・コロナ型の誘致策として、観光や旅行に対して日本人が抱く消極心理を払拭する施策 が必要である。

すなわち、新型感染症騒動により新たに顕在化した衛生管理や危険回避のニーズに対し、観光地 や交通機関において十分な対応が求められるようになる。手近な取り組みとしては、客室やロビー 等への消毒薬の配置やビュッフェスタイルの見直し、混雑を避けた客室でのチェックイン等が考え られる。やや長いタイムスパンでは、静穏かつ室内温度を下げることなく換気ができる高機能な換 気設備や、清掃が行き届きやすい家具・間取りの導入、抗ウィルス効果の高いカーテン等調度の採 用、個人や家族単位で楽しめる個別温泉施設等が考えられよう。交通機関でも、消毒、清掃の徹 底、特に高密度となりやすい観光バスの乗客数の調節などの対応のほか、抗ウィルス効果が高く消 毒もしやすい車両の内装材の導入等が必要となる。コンテンツについては、利用者を限定して混雑 を生じさせない運動施設や映画・VRのシアター、サービスが整った少数の宿泊設備からなるキャ ンプ場(グランピング)等が考えられる。これらは新たな設備投資を必要とするため、観光客の滞 在環境に関する基盤整備事業の枠組みを活用することも一案であろう。

(2)多様な観光客層の開拓と顧客市場の分散化 今回露呈したのは、特定のターゲットを定めてインバウンド誘致に注力してきた営業形態の脆弱

性である。すでに破綻した旅館やアミューズメント施設の中には、注力してきた中国や台湾等東ア ジア諸国で日本への渡航中止が打ち出されて間もなく、事業が立ちゆかなくなった例がみられる。

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今後は特定の国・地域に偏らない多様な顧客層を開拓することが望ましく、たとえ一つの国からの 集客ができない状況になったとしても、他の国からの誘客によりカバーできるよう、定常的に幅広 い市場を対象に情報発信やプロモーションを行っておくことが必要である。

さらに、新たな市場にも目を向けることが望まれる。当面の主要ターゲットである日本人による 国内旅行市場には十分取り込めていないニーズが存在しており、観光客が激減した現在、積極的に 開拓を図る好機といえる。例えば、高齢者や身体障碍者に快適な滞在環境を提供するユニバーサ ル・ツーリズムや、同宿者に配慮して旅行を見合わせがちな乳幼児やペットを帯同する旅行者を歓 迎する姿勢を打ち出すことが考えられる。この場合にも滞在環境のバリアフリー化(段差の解消、 通路の拡幅等)や防音設備の導入といった設備投資が必要であり、低利融資や助成のスキームを整 備することが望まれる。

(3)受け入れ側の準備態勢の整備 観光客を迎える地域社会・住民へ配慮した受け入れ態勢の整備も重要な課題である。従来、観光

は地域創生の切り札として重視されてきたが、新型コロナの流行拡大以降、地域社会や住民の観光 に対する期待は冷え切っている可能性がある。今後、需要喚起策が本格化すると、事業者と一般の 地域住民との間で観光に対する温度差がさらに広がり、整備されつつあった地域全体の受け入れ態 勢が無に帰すことも懸念される。 そのような事態を避けるには、一定の時間をかけて受け入れ態勢の再構築に取り組む必要があ る。具体的には、新型コロナを抑え込む取り組みや疲弊した医療体制の再整備を行うとともに、地 域にとって望ましい顧客層を見極めて選択的に誘致する仕組みや、感染症や自然災害といった危機 にうまく対処して健全な観光ビジネスを継続する仕組みを構築していく必要がある。併せて、これ らの取り組みについて情報を幅広く開示し、丁寧な説明を行うこと、地域社会や住民からの質問や 要請に真摯に対応して不安感を払拭することが極めて重要である。そのうえで、観光振興団体や事 業者は地域社会と共存しつつ存続する姿勢を明らかにし、地域社会・住民と連携した観光振興策を 検討、立案することが求められよう。

5.おわりに

新型コロナの流行を機に、わが国はインバウンド誘致を柱とした従来の観光振興策の抜本的な見 直しを余儀なくされることとなる。成功体験からの脱却は容易でないが、安全・安心と健康を重視 した滞在環境を提供したり、感染症や自然災害を想定した危機管理の仕組みを整えることが必要で ある。また、ますます多様化する旅行者のニーズ・関心を満たす旅行プランを積極的に提案し、特 定の顧客層に依存しない経営態勢へ移行していくことも重要である。

現実問題として、2019 年のインバウンド数は前年比+2.2%の微増にとどまる一方、オーバーツー リズムなど観光の負の側面が各地で顕在化するなど、わが国観光はすでに転機を迎えつつあった。 今回の新型コロナ問題がなかったとしても、早晩従来のインバウンドの増加を是とする観光戦略 は、見直しを迫られていた可能性は否定できない。今回の新型コロナを奇貨として、ポスト・コロ ナ局面における新たな観光振興策や、観光客と彼らを受け入れる地域社会の関係を真摯に検討する ことは極めて時宜にかなうと思われる。

以上 日本総研 Research Focus